『子どもは”女の子”が良かった!』
これが母親の口癖でした。
父親も子どもは女の子が欲しかったらしく、
名前も決めていたようです。
”潤子”
潤子って(汗)
めっちゃ昭和やん!!
私が女の子だったら、
”潤子”という名前だったようです(笑)。
「出産して、”元気な男の子ですよ!”って言われた時に
ガッカリしたのよ〜」
って幼き自分の子どもに言うわけですよ。
どないやねん!!
この時点で、”生まれてすみません”の太宰治状態なんですわ。
そして、ことあるごとに言われるわけです。
「女の子だったら髪を伸ばして可愛く結って、
一緒にお出掛けするの!」
とか
「可愛い服着せて、
一緒にお買い物行くのよ!」
ってね。
今だったら、
知らねーわ!!
って言えますが、
男として生まれてしまった俺はどういう顔をして、
どういう言葉を返せば良いのかまったくわからず、
ただただ黙って下を向いているしかありませんでした。
父親にも
「今日は帰ったら、お前を女の子にしちゃうんだ!」
って言われたことがあってね。
「おお!!女の子になれるならそのほうが良い!」
って本気で思ったんですよ、その時。
そしたら、、、
風呂場で、ボディーペインティングで、おっぱいを描かれて
爆笑されて終わりという・・・。
おいっ!
こんな小さな記憶がアラフォーになっても蘇るということは、
その当時は、かなり傷ついたんですね。
女の子ではなく、男して生まれてしまった、
『自分には価値がない。。。』
という無価値感はこんな小さな時から育ってしまっていたんです。
そのままの自分だったら、価値がない。
だったら付加価値をつけよう!
両親に喜んでもらう為に、必死だったんですね。
普通の男の子よりも何か1つでも良いから、抜きに出よう!
元々身体が弱かったので、スポーツでは抜きに出れない。
感性も乏しいので、音楽や絵を書くことでも無理そうだ。
だったら、勉強しよう!!
って流れで私の勉強人生が始まるんですね。
最近、”無理しない”で生きようって決めてから、
過去を回想する機会が多いんです。
そうすると、
こんなことまで覚えているだ。。。
ってビックリするわけです。
こういった小さな小さな出来事が
ちょっとづつ自分を制限していたんですね。
無理して頑張っている時は
全然気がつきませんでした。。。
よし、今日も絶対に”無理しない”ぞ!!
藤巻由崇
ゆき
藤巻先生は、「潤子さん」だったのですね。
私は、「徹(トオル)」になるはずだったのだそうです。
私と逆パターンの方もいらっしゃるんだな~と、ちょっとびっくりです。
私は、希望通りに男の子みたいにならなきゃ、と思っていました。
これからも、記事楽しみにしています。
藤巻由崇
>ゆきさん
コメントありがとうございます!
「徹(トオル)」はヤバいですね(笑)
俺の友達に「徹(トオル)」君がいますが、めっちゃナルシストですよ(爆)。
小さい頃は、親が絶対なので、その親に愛されようと子どもは必死なんですよね。
俺は女の子にはなれないけど、他に気に入ってもらえるように必死だったもんな。
母親が留守の時に、手で部屋のゴミをひろって綺麗にしてみたり(笑)
今思うと健気だわー。
まっ!今は、良い意味で裏切ってやろうと悪いを笑みを浮かべながら、日々行動中です。